『おとうさんとぼく』新装版

9/10日号で配信された「書評のメルマガ」では『おとうさんとぼく』新装版をご紹介しました。
http://back.shohyoumaga.net/

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■「いろんなひとに届けたい こどもの本」/林さかな
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87 日常と非日常

 豪雨、台風、酷暑、そして地震。立て続けに日本のあちこちを襲う災害、被災地のみなさまに心からお見舞いを申し上げます。これからの復興に向けて、心身共に疲れがでてくると思います。休めるひとときが少しでも長くあります
ように。

 大きな災害がおきると、当事者ではなくても何かできることはないだろうか、こんな事が起きるなんてと心を寄せる人は何かしら共に傷ついていると思います。

 今年2月に地元の博物館で「語りがたきものに触れて」というクロストークイベントに参加しました。そのとき、久保田翠さん(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ理事長)が、東日本大震災で傷つかなかった人がいるの
でしょうかと話をされ、ああ、そうだと深く納得しました。

 私は震災から数年にわたって、本を以前のように読めなくなりました。心にすっと入らなくなり、読むのに時間もかかるようになりました。

 なので、今回はどの本について書こうかいろいろ悩みました。
 思いついたのがこの本です。

 このメルマガでは8年前にも一度ご紹介したe.o.プラウエンのマンガが、今年、岩波書店から新装版で刊行されました。

 『おとうさんとぼく』e.o.プラウエン 岩波少年文庫

 1985年に2冊組で刊行されたものを、内容を一部変更し1冊の形になっています。

 言葉のないコママンガです。
 おとうさんとぼくの2人の何気ない日常が描かれ、言葉がなくてもやりとりの意味はよくわかるものばかりで、読んでいるとクスクス笑いがこぼれます。

 おとうさんはぼくが大好きで、ぼくもおとうさんが大好き。
 仲良しのときもあればケンカするときもある。

 ぼくが読んでいた本をおとうさんが背中ごしに読み、そのうち夢中になったおとうさんが、本を手によみはじめ、いつしか、ぼくがおとうさんの背中ごしに本を読んでいます。立場が逆転してしまうほど、夢中になるおとうさんはまるで子どものようです。

 夏休みをスペシャルなものにしようと、眠っているぼくをどこかに連れ出すおとうさんも、何より自分が楽しみたいのではとそのワクワクぶりが伝わってきます。

 どのエピソードも、ユーモアたっぷり、愛情たっぷり。
 
 いつ読み返しても夢中になれる、大好きなこの本を高校生の時以来、30年以上何度も読んできました。心がざわついたときに読むとすっと落ち着けます。

 新装版にも上田真而子さんの解説が掲載され、それに加え、エーリヒ・ケストナーによるプラウエンについた書いたエッセイも入りました。どちらの文章もこのマンガが書かれた背景について深く考えさせられます。

 プラウエンはナチスの時代に生きた作家です。
 上田さんの解説にはこう書かれています。

「世の中が刻々ナチスのかぎ十字とかっ色の制服にぬりつぶされていったあの暗い時代に、いっときにしろ、自然に、自由に、心の底から笑えるものに出会ったよろこびを、いまも回顧する年配のドイツ人が少なくありません。『おとうさんとぼく』は全体主義の中で人間性をおしつぶされていた1人1人が、ほんとうの人間に出会えてほっと一息つけるオアシスでした」

 プラウエンの『おとうさんとぼく』が私にとって特別な本になったのは、上田さんの文章があったからでもあるのです。
 その上田さんも昨年暮れに逝去され、さみしい限りですが、翻訳された本や解説を書かれたを本を含め、これからも読み継がれていくことでしょう。