Month: July 2022

『パンに書かれた言葉』『アウシュヴィッツのお針子』

130 記憶と言葉と衣服の力 『パンに書かれた言葉』                     朽木祥 小学館  イタリア人の母、日本人の父をもつ少女が主人公。 彼女には、名前が三つあります。 光(ひかり)・S・エレオノーラ。名字は青木。 エレオノーラの意味はイタリア語で「光」。 ではSの意味は……。  冒頭、東日本大震災が起こり、その春に家族でイタリア行きを予定していた光の家族でしたが、結局、光ひとりで向かうことになりました。  イタリアの親戚たちは、みな光がきたことを歓迎し、震災の影響を心配する言葉をかけます。鎌倉に住んでいた光たちは、津波の影響は受けていませんでしたが、甚大な震災に傷つかなかった人はいません。  心が落ち着かないものの、イタリアのおいしい食事や、母親がイタリアで暮らしていた時の部屋で休んでいるうちに、家の中を探検したくなってきました。  探検で入ってみた小さな部屋で、写真とカチンカチンのパンを見つけます。  写真にうつっていたのはパオロ。光の祖母にあたるノンナの兄でした。  写真がきっかけで、ノンナから戦争の話を聞くことになりました。八十歳を超えているノンナの口から語られる戦争の話は、当時のパオロやノンナの友だちの視点で物語られます。  光はノンナの話を聞きながら、イタリアでの戦争だけでなく、広島のことも考えはじめ、日本にいる父親とメールで気持ちをやりとりします。  イタリアから日本に戻り、まだ震災でおちつかない中、夏休みを迎えますが、今度は父親の実家がある広島へ光はひとりで向かうことになります。両親ともに、仕事がいそがしく一緒に夏休みを過ごせないからです。  そして今度は広島で祖父から戦争の話を聞くのです。春にイタリアの祖母から聞いた話を考えているうちに、今度は日本の広島の話を聞きたいと思うようになったからです。  どちらの戦争の話にも言葉の力が語られます。  「言葉の力を信じていたのよ。人の心を動かす言葉の力をね」 ノンナが光にこう話ました。  イタリアの戦争中にまかれたビラには、勇気づけるために書かれた詩もありました。 日本でも、歌人が反戦の詩を書いています。  中学三年の光は、祖母、祖父から聞く歴史を自分の頭で理解していきます。  そして最後まで読むとタイトルの意味もわかるのです。  翻訳小説では訳者あとがきが記されていることが多いなか、日本文学でのあとがきはそれほど多くありません。「思いをこめて書き上げた」本書では著者による伝えたい思いが書かれています。  著者も広島出身、被爆二世。あとがきにはこうあります。「ヒロシマの物語の登場人物は過去の亡霊ではありません。未来のあなたでも私でもあるのです」。  言葉の力をあらためて実感する物語です。  もう一冊紹介するのは、大人向けのノンフィクションですが、高校生くらいからでも読めると思います。  『アウシュヴィッツのお針子』 ルーシー・アドリントン著  宇丹貴代実訳 河出書房新社  著者はイギリスの服飾史研究家。長年にわたり服飾と社会のかかわりについて研究し、著述活動のための資料からアウシュヴィッツのファッションサロンの存在を知り、関係者へのインタビューと、膨大なアーカイブ資料から本書をまとめました。  いままでも様々な切り口でアウシュヴィッツについて書かれてた本がでていますが、本書では衣服の力についてあらたな視点に気づかされました。  ナチスといえば特徴的な制服をすぐさま思い出す人は多いでしょう。 「制服は、集団の誇りとアイデンティティーを強化するために衣服を利用する典型例だ。ナチスの経済政策や人種政策は、被服産業から儲けを得ること、略奪による利益で戦争行為の費用をまかなうことを狙って策定されていた」  この考えはナチス上層部の女性も同様で、やはり衣服を重要視し、だからこそ、お針子が必要でした。  小説ではないので登場する女性たちはみな実在したお針子たちです。 絶滅収容所での彼女たちが無事生き延びられるのか、仕事をし続けられるのか。読んでいる間、死が常に隣り合わせにある緊張感にずっと肩に力を入れていました。  訳者あとがきで書かれているこの一文には心の底から同感しました。 「ホロコーストのさまざまな側面で衣服が大きな役割を果たしていた事実をこうして突きつけられると、「衣食住」ということばにあるように、衣服は食物、住居と並んで生活の基本的な要素なのだとあらためて痛感させられます。」

『たぶん みんなは 知らないこと』『目で見ることばで話をさせて』

129 想像すること 『たぶん みんなは 知らないこと』                     福田隆浩 講談社  2007年に第48回講談社児童文学新人賞を『熱風』(現在は集英社文庫で刊行で受賞した福田さんの新刊です。  重度の知的障がいのある小学5年生の女の子、すずの物語。  作者福田さんは、特別支援学校教諭。作家としてたくさんの物語を書かれていますが、本職について物語にするのははじめてです。  物語では、すずの心の声とともに、母親の気持ちは、すずの学校の先生と交わす連絡帳で、中学三年生のすずのお兄ちゃんはブログで自分の気持ちを綴ります。  大きな展開をあえておかずに、淡々と学校生活や日常を描いているので、ページがすすむたびに、すず達家族の生活に読者もなじんできます。  そんななか、小さなハプニングが起こります。 バスにお兄ちゃんとすずが乗っているとき、すずが大きな声を出しはじめ、前に座っている人の髪の毛をひっぱってしまったのです。前の人はすずのことをなじり、お兄ちゃんは頭にきます。 なぜすずがそういうことをしたのかは、すずの声で語られます。  お兄ちゃんは、その人が発した言葉に頭にきています。 その日は雨が降っていて、バスから降りたふたりは少し長く歩くことになるのですが、その歩いている時間がお兄ちゃんを落ち着かせ、いますることは、早く家に帰り着くことだと納得するのです。  「妹が将来、人の役に立とうが立つまいがそんなことは関係ない。 妹がこれから、たくさんの人の世話になっていくかなんてそんなことも関係ない。 妹がこうやって、同じ世界に生きていることが自分にとっては大事なことなんだ。雨音をこわがったり、雨粒を手にうけて喜んだり、ときどき大声をあげたり、空を見あげたり、首をかしげたり、息をすいこんだり、そんなことすべてがおれにとってはとても大事で大切なことなんだ」  いやな思いをしたことで、考えてたどりつくことに腑に落ちることがあります。いやなことはないにこしたことはないけれど、その「いや」がないとたどりつけないこと。それに気づくと、生きていくということは、いつも片面だけのできごとでは終わらないなと思うのです。  複数の視点で重層的に語られているところから見えるものに感じ入り、最後にしめくくるすずの視点に、次の扉が開くのがみえてきます。 「新しいぼうけん」の章でのラストシーンの後、ぜひ表紙を見返してください。  もう一冊ご紹介する読み物はこちらです。  『目で見ることばで話をさせて』          横山和江 訳 アン・クレア・レゾット作 岩波書店  表紙いっぱいに、主人公メアリーの表情が描かれ、彼女の目がこちらを見つめているのに吸い込まれそうになります。  物語はメアリーの自伝として書かれたフィクションですが、一部史実も交え、舞台はろう者と聴者が、どちらも手話をつかって生活していた実在の島です。  メアリーは兄と両親の4人暮らし。兄と母親は聴者、メアリーと父親はろう者です。文字だけで書かれている物語上では、手話での会話を〈 〉でくくり、声に出してする会話では「 」、手話と声両方でする会話は《 》でわかるようになっています。  11歳のメアリーは物語をつくるのが好きな少女です。 兄が馬車の事故で亡くなってから、心が重くなりがちになり、そんな時、島に若い科学者がやってきます。島に多く住むろう者のことを調べたいと思ってきたのが、アンドリューでした。  島に新しい人がやってくることを心から楽しみにしていたメアリーですが、事態は恐ろしい展開をみせます。  読んでいるのが苦しくなるほどの重たいできごとのなか、メアリーは必死に生き延びるために物語を考え、自分をなぐさめます。  そこでは今までの生活の中では味わったことのない、ろう者が人間以下の扱いを受けることを体感するのです。メアリーは祈ります。  「ちがいのある人に対して、世の中の人がどのような扱いをするか、わたしはあまりに早く多くのことを学びました。あの人たちに対抗するためには、あの人たちの決まりごとを学ばなければなりません」  メアリーは考え続け、行動し、道が開けていきます。  考え続けてきたことをメアリーは父親に相談します。 周りの友人たちが、自分たちと違う人に対して、劣っている態度をとるのはおかしいのではないかと。父親は答えます。  「人を批判しないのが一番だ。まずは自分の内面を見つめなさい。最良の人間になるよう努力しなさい。メアリーが手本になれば、ほかの人はメアリーから影響を受けるだろう」  最後に、物語をつくるのが好きなメアリーの言葉で印象に残ったものを紹介します。  「ことばは大好きだけれど、混乱もする。頭の中で考えていることは、手話や文章だけでは表現しきれないから。頭の中のたくさんのイメージや心の動きは、耳で聞いたことはないけれど、音楽みたいなものかなと想像してみる」  たしかに、頭の中で考えていることすべてを表現することは、私もできないなと思います。表現できないものを、文章にしてみることは難しい。けれど、難しいものを、まず想像してみるのは楽しそうです。