『ぼくはただ、物語を書きたかった』他

127 物語ることは希望 

 シリアに生まれ、ドイツに亡命し児童文学作家として活躍しているラフィク・シャミの本が2月に西村書店から刊行されました。

 『ぼくはただ、物語を書きたかった』
                       松永美穂訳 西村書店

 物語ることは、常に人間的な希望と結びついている――。

 母、父、きょうだいたちに二度と会えない、暮らした土地に二度と足を踏み入れない――シャミは一九七一年三月十九日(金)に、いままでのすべてを失い引き替えに物語る自由を獲得しました。

 本書は物語ではなく、亡命するまでと亡命後のことをかいた自伝的エッセイ集です。

 人が自分の生まれたものを自分の意志で失うことの重みが、「亡命とは」で始まる文章が繰り返されるたびにせまってきます。

 先日、11年目の3月11日を前に「ふくしまを書く」という題目で福島在住の詩人、和合亮一さんと福島県郡山出身の作家、古川日出男さんの対談が福島県立博物館主催のもとオンラインにて開催されました。

 対談の中で、古川さんは故郷、郡山を長い間封印していたという話をされたのですが、シャミの言葉を読みながらあらためて古川さんの言葉について考えました。本書にも故郷がよく登場します。
 
 本書での故郷について語る言葉はこういうものです。

 —(引用)—
 故郷って、なんだろう? シンプルに響くのに、これほど意味を一つに絞れない単語というのも珍しい。
 ————–

 複数の作家の言葉を用いて、シャミは「故郷」についての自分なりの概念を深く掘り下げます。

 古川さんは、いまの自分があるのは、生まれてからが全てじゃない。それまでの先祖からの長い時間を経ていまの自分があるのだと語られました。

 私自身、自分がどこからはじまっているのかについて、考えなかったわけではないけれど、古川さんの話は新鮮に腑に落ち、自分の中での故郷について思いをめぐらしているタイミングで、シャミのいう故郷という言葉が自分に入ってきました。

 愛おしく思う、過ぎ去った時間、それに密接につながる土地である故郷。
 そんな場所に戻れないというのはどう表現したらいいのでしょう。

 しかし、シャミは物語ることで、故郷にたびたび帰ります。「ぼくは小説によって、ダマスカスに戻ろうとしているのだ。そして、語ることによってのみ、ぼくはあの町を去らず、あの町もぼくから去らなかった、と感じることができる。」と。

 シャミは文学作品を書きたいだけでなく、口頭でも伝えたいと考え、好きな作品を、手で書くこと、試しに読んだ作品が気に入ると、徹底的に読み込み、暗唱することを実践しました。

「物語ることは、常に人間的な希望と結びついている。物語る人間は、希望を抱いている。」

 そう語るシャミはよく一つの場面を思い浮かべるそうです。それは、賢いおばあさんが暗闇をこわがる子どもにお話しを聞かせ、子どもは安心して眠るという場面。

 子どもは語られる物語を聞いて、暗闇の怖さがなくなり、安心を得ることができた、それは物語の力が子どもの心に届き寄り添ったからなのでしょう。

 震災以降、絆、希望という言葉が自分に素直に入らなくなっていましたが、本書でシャミのいう希望はすっと心に入りました。その感覚は、なにか安心を得たことに近いものでした。

 さて、もう一冊、気持ちがやわらかくなる本をご紹介します。
 『けんかのたね』
  ラッセル・ホーバン 作 小宮 由 訳 大野八生 絵 岩波書店

 絵本から読み物を読み始める、低学年向けの本。

 どのページにも絵はたっぷり。大野さんのやわらかくのびやかな線で表情豊かに登場人物や犬、猫らの表情が描かれ、見ているだけで、やさしい気持ちになります。

 はじまりは、お父さんがくたびれはてて家に帰ってきたところから。
 ようやく家でくつろげると思っていたのに、家の中は4人の子どもたちも、
一緒に暮らしている犬と猫もケンカしていて大騒ぎ。

 いったい原因はなんでしょう。
 それぞれの言い訳を聞いていて、最初はこれが原因と思ったものも、実は少し違う理由があった様子がわかってきます。

 小さなできごとが、どんどんふくらんで大きなできごとになっていくのが、あたたかな眼差しで語られるので、気持ちがほぐされる心地よさを感じました。

 ぜひ読んでみてください。 

(林さかな)
https://twitter.com/rumblefish